佐々木友彦
Walk Don't Run
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「山田全体が良くなる」
それが歌う漁師の目標
澄んだ瞳にやんちゃな笑顔の佐々木友彦さんは「友〜TOMO〜」の名前でシンガーソングライターとして
山田町内の祭りや花火大会、盛岡市でのイベントのステージにも立つ。
明るく人懐こい印象の佐々木さんだが、父親の介護と養殖をひとりでこなしてきた苦労人だ。
本が並ぶ、研究施設さながらの作業小屋
19歳の時、家業だった養殖の世界に入った佐々木さん。
20代のころから先輩漁師とともに牡蠣の幼生(赤ちゃん)を生産する宮城県や高値で牡蠣が取引されている国内生産地、さらにはオーストラリアを訪ねるなど、養殖技術についての研究を重ね、日本の漁業についても独学で学んできた。
作業小屋も研究施設さながら。
小屋半分には出荷前の牡蠣やホヤ、貝類を入れた水槽が並び、もう半分には養殖や水産についての本、自身で調べた書類の束が置かれている。「全国にブランド牡蠣も増えるなか、牡蠣養殖の世界はきびしくなっているから、自分にできることは何でもやる。試して失敗したことはまわりの漁師にも教えます。山田全体が良くなるのが自分の目標」とその目に迷いはない。
介護と漁師の両立を歌が支えた
30代前半までは漁師の仕事まっしぐらだった。しかし30代半ばになったころ、事故で母親が亡くなり、漁師だった父親は介護が必要な状態に。養殖漁業は漁師だけでなく妻や母親など家族が一緒になって水揚げし出荷することが多いが、佐々木さんはすべてを一人で手掛け、さらに父親の介護も抱えることになった。
そんな時、心の中に溜まった葛藤ややるせない思いをどこかにぶつけるために始めたのが歌だった。譜面を読むことはおろか、楽器も何一つ演奏できないものの自分で曲を作り歌詞も書いた。
東日本大震災では姉を亡くし、生活の糧だった養殖いかだも失った。父親を連れて避難所で生活することができず、町内の病院が被災した状況下で自宅での介護を余儀なくされた。まわりの漁師たちが協力して漁港の復旧作業に当たるなか、介護のために自分だけが復旧に参加できない後ろめたさを抱えた。誰にも言えない思いを抱え、やがて海に出る頃には、船のエンジン音をビートに、孤独感やままならない日々のことを歌詞にぶつけ、湧き上がるメロディに乗せてすべて吐き出した。
牡蠣だけじゃない三陸の海の味
父の他界後、本格的に養殖を再開し、牡蠣以外の海産物の販売にも力を入れたいと考えている。
そのひとつがアカザラ貝だ。一見、小さなホタテのようだが、貝柱はホタテ以上に身が締まっていて味が濃く、だしがよく出る。養殖ロープに付着し牡蠣と一緒に水揚げされる、いわば副産物だが、寿命が短く日持ちがしないことから地元の鮮魚店やスーパーには並ぶが、遠方には流通していない知られざる逸品だ。佐々木さんはこのアカザラ貝の足糸(二枚貝が岩などに固定するときに分泌する繊維)の切り方を工夫することでアカザラ貝の寿命を伸ばし、発泡スチロールに入れて生きたまま発送する方法を発案した。
海に感謝し命をつなぐ。
それが漁師
三陸の夏の味覚、ホヤも水揚げした後に滅菌海水の中で一定時間置くことで、鮮度は保ったまま体内に残った老廃物は排出させてから出荷できるように。1〜2年で出荷する小粒で身の詰まった牡蠣の研究も進み、安定して生産できるようになってきた。
水揚げから出荷まで、自身の作業小屋の水槽の中に入れる間の牡蠣やホヤの置き方にも工夫を加え「牡蠣同士が水槽の中で苦しくならないように、楽に呼吸ができるように並べることで長く生かすことができる」と言う。
養殖や漁業についてさまざま調べ勉強する中でたどり着いた結論はシンプルだ。「俺たち漁師は広い海という畑の上で仕事をさせてもらっている。畑の環境を保ち、収穫し、感謝して命をつなぐ、それが漁師の仕事なんだ」。そう語る瞳には希望を見据えた光が差していた。