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My Father’s Eyes

安全丸 白野博・悟

「俺が言うよりお客さんが言うから美味い」牡蠣に絶対の自信

「お客さんの前で売っていると色んな意見も言われるし必ず評価される。
最近は言われることが減ったから、前より良くなったんだなと思ってんだ」
素面だと口数は少ないベテラン漁師が多いなか、白野博さんは牡蠣を剥く手を止めることなく、少し早口で話し続ける。
そのべらんめえ調と殻をたたく音が小気味よく作業小屋に響く。

亡き息子から引き継いだ
盛岡の「よ市」の露店

博さんの「お客さん」とは、岩手県の内陸部・盛岡市で春から秋に毎週土曜日に開かれている材木町よ市でのお客さんのこと。四男の悟さんとともに毎週2時間近くを掛けて、よ市に露店を出している。ビールやワインの店も並ぶよ市で、山田町から来た漁師の店と言えば、毎回行列の人気店として有名だ。

自身はほとんど海のものを食べない博さん。「よ市では『ここの漁師は自分が食べないものを売ってる』って言われて、それが案外評判が良いんだ。食べないのになんで美味しいってわかるんだ、って聞かれるから、『みなさんがおいしいって言うから』って答える。俺が言うよりお客さんが言うから間違いない、って言えばみんな納得するもんだ(笑)」。絶対の自信を持つ牡蠣の味に加えて、時折冗談も飛び出す博さんの人柄もあいまっての人気だろう。

博さんと悟さんの2人でよ市に出るようになったのは2013年から。東日本大震災後のことだ。震災前、よ市に出店していたのは博さんの次男の純(あつし)さんと、三陸やまだ漁協産直市場にも出店している井筒力男さんの次男の誠二さんだった。3月11日、あの日も純さんは4月から始まるよ市に向けた準備をしていた。大きな地震の後、消防団の半纏を着て出て行った。その背中が純さんの最後の姿になった。

  • 安全丸 白野博・悟
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博さんは避難所で暮らしながら、毎日、ダイバーたちと遺体捜索活動のために船を出した。海中で半纏の色に似た布を見つける度、息を飲んだが、純さんを自分の手で見つけることはできなかった。20台近くあった養殖いかだも流され、牡蠣もやめようかと思った。「九分九厘やめるところだった。純がいれば話は違ったけど、いなかったから……」。しかしふと思った。「今、60歳で人生あと20年なにしよっか」と。

決めあぐねているうち、漁協から船や漁具の購入のための補助金の情報なども伝わるようになり、もう一度、漁師としてやっていくことを決めた。そこに戻ってきたのが、4人の男兄弟の末っ子の悟さんだった。兄弟3人で連絡を取り合い、唯一独身で比較的自由の身だった悟さんが群馬県から山田町にUターンすることになったのだ。「葛藤とかそんなんは特になかったです。戻ってみて、山田には何にもなくなったなあって……」。例外的に避難所で両親とともに生活することが認められ、すぐにほかの漁師たちとの共同作業に加わった。

流されたいかだは山田湾内で100台近くが絡まり合って固まった状態になっていた。それを漁師たちが解きほぐし、元の台数に応じて分配した。翌年初夏からは本格的に博さん夫婦と悟さんとの3人での作業が始まった。一瞬、途絶えるかに見えた白野家の養殖のバトンはつながった。

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大正時代にさかのぼる
白野家の牡蠣養殖

白野家が牡蠣養殖を始めたのは大正時代のこと。5人から始まったと言われる山田の牡蠣漁師のうちの1人だと伝わっている。博さんは19歳の時から牡蠣養殖の道に。結婚してからは父親と博さん夫婦でやってきた。1980年ごろからは、現在主力になっている殻付き牡蠣の生産も開始。「殻付きだと育て方が全然違う。あの頃は誰も教えてくれなかったんだ」。だから自分で研究を重ね、殻が細長くならない育て方を試行錯誤してきた。

山田湾の牡蠣養殖は、ホタテ貝の両面に付けられた牡蠣の種を購入し、枚数を調整した上で、貝ごとロープに挟み込みいかだに吊るすのが一般的だ。「厳密にやる人は1回挟み込んである程度おがって(育って)から調整するんだけど。俺はズボラだから1回で決めるけどね」。豊富な経験に裏打ちされた自信を覗かせる。

もちろん吊るしたら終わりではない。同じ山田湾の中でも潮の流れが違えば牡蠣の成長も違う。16台のいかだの中には、殻の成長は良いが中の身は十分育っていないところもあれば、逆に殻は小さいが中身は殻いっぱいに成長しているところもある。その成長の違いを見極めて、出荷までの間にいかだを移動させるのも漁師の腕の見せ所なのだ。

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亡き兄から弟へ
受け継がれる牡蠣養殖

実は博さんは震災の年に純さんに仕事を任せて引退しようかと思っていた。「純は10年以上漁師をやって一人前だった。俺よりも仕事には厳しかったんだよ」。そんな純さんによ市への出店を勧めたのは博さんだった。もとは博さんと井筒さんが「何か商売でもやろうか」と相談し、幼なじみで仲の良かった息子たちにやらせたものだった。よ市の日、いつも夕方5時くらいになると「売り終わりました」と電話が掛かってきた。自身で出店するようになり、ほかの出店者から若い漁師2人の蒸し牡蠣は大人気だったと聞いた。今は悟さんと2人、盛岡に向かい店頭に立つ。蒸し牡蠣は今も人気。妻が作る牡蠣の時雨煮やオイル漬も毎回売り切れの人気商品だ。

4人兄弟の中で一番かわいがられて育った末っ子も漁業を始めてたくましくなってきた。「まだまだだねえ」と言いながらもうれしそうな博さん。「後継ぎがいる漁師は何人もいないんだ。後がいると思えば資材も買える」。悟さんの大きな背中を見遣った。「まだまだ尻に殻がついた未熟者だけど、お客さんの声も聞いて勉強しながら一人前になりたい。生涯現役で漁師をやりたい」と悟さん。白野家の養殖は父から兄へ、そして弟へ確実に受け継がれてゆく。

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