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山一定置漁業生産組合のおすすめ商品

山一定置漁業生産組合

江戸時代から続く網元
「定置網漁業の多彩な魚種を伝えたい」

巨大な網を海中の固定の場所に設置し、そこに入ってきた魚のみを獲る定置網漁業は、
資源保護の観点から持続性の高い漁法と言われている。
「山一定置漁業生産組合」を経営する昆家は江戸時代から続く網元で、いち早く定置網漁業に取り組んできた歴史がある。
「先祖から受け継いだ資源を次世代に」との思いで、経営者と乗組員が一丸となり東日本大震災の被害から再起した。

震災から9年半
悲願の番屋と倉庫再建

山田湾に沿うように町を縦断する国道45号線。岩手県山田町の南部に位置する織笠地区を走ると漁港のすぐ陸側の大きな建物の壁面に「山一定置漁業生産組合」の文字と「山一」の屋号が見えてくる。この倉庫と乗組員の番屋は2020年の年の瀬に竣工したものだ。15名の定置網漁船乗組員たちは朝3時からの漁が終わると番屋で朝食を取るが、震災からの9年間は復興工事の進み具合に伴ってプレハブの仮設の番屋を転々としてきた。10年を迎えるのを前にようやく構えることができた拠点だ。

山一定置漁業生産組合を経営するのは、組合長の昆千里(せんり)さん。昆家は江戸時代から300年続く山田町の網元の家系で、千里さんで12代目。先祖は奈良から落ち延びたと伝えられていることから、船には代々「大和丸」と名づけ、震災後の定置網漁船も第三大和丸、第五大和丸など5艘ともその名を冠している。

昆さんが組合長になったのは2019年のこと。大学卒業後東京でシステムエンジニアとして働いたのち、震災前の2007年に帰郷。当時組合長を務めていた父の常治(つねじ)さんのもとで定置網漁業のことや経営、経理などについて学んでいた。
「子どものころから父に連れられていとこと一緒に定置網漁船に乗せられたりしていて、漁は身近に感じていました」と振り返る昆さん。「良い時代も悪い時代も先祖代々この商売でやってきたんだから自分もきっとなんとかやれる。そんな気持ちで山田に戻ってきたんです」。

  • 出港前の大和丸
  • 昆千里
  • 山一定置漁業生産組合 倉庫

「定置網漁業は人が大事」
震災8ヶ月後に漁を再開

帰郷して4年後の東日本大震災。大和丸は沖に避難させていたため無事だったものの、定置網の巨大な網を保管する倉庫やその中にあった網、さらには事務所や番屋など、山一定置漁業生産組合は商売道具の多くを失った。乗組員は無事だったが家族を亡くしたり自宅を流された人も多く、番屋で食事作りを担当していた職員も犠牲になった。

無数の養殖施設が浮かび定置網がいくつも設置されていた山田湾内はがれきで埋め尽くされ、漁の再開がいつになるのかはまったく分からなかった。昆さんは常治さんととともに避難所を回って乗組員のもとを訪ね、集合する日時を伝え「必ず定置網漁業を再開するから集まってほしい」と頭を下げた。

震災直後、父と話し確認し合ったのは「定置網漁業は人(乗組員)が何より大事。彼らがいなくては漁はできない」ということだった。例年、定置網漁業を行うのは4月から2月ごろまで。「今年のうちに必ず1ヶ統だけでも再開する」と決め、破損した定置網を乗組員らとともに回収、修理した。8ヶ月後の11月には、もともとあった2ヶ統のうちの1ヶ統での漁再開にこぎつけた。

ベテラン「大謀」こだわりの
水揚げと箱詰め

20代前半から70代後半まで15名の乗組員たちの多くはその当時からの顔ぶれだ。なかでも全員を束ねる「大謀」の山崎英恭(ひでやす)さんは、昆さんが物心ついたころにはこの船に乗っていたというベテラン。幅広い世代、様々な性格の乗組員たちの配置や分担を差配し、全員が気分よく仕事ができるよう心を砕く。

毎朝3時に出港し、織笠漁港を出て2ヶ統で網を起こし市場に水揚げ。魚種や大きさごとに分けるのも乗組員の仕事。水揚げ量に拠るが、戻るのはだいたい朝7時前後だ。もともとは三陸を代表する魚である鮭の水揚げで潤った地域だが、近年は鮭の水揚げが低迷。そこで高値で取引されるスルメイカを定置網漁船の上で発泡スチロールに詰め近隣の市場に出荷し始めたのは山崎さんの発案だ。

乗組員が船上で詰める際には口だけでなく時には自ら手を伸ばして詰め直し、若い乗組員に指導することも。「少しでも高く買ってもらうには見た目も大事。だって商品だもん」。イカの大きさを合わせて丁寧に氷の上に並べ、エンペラの両端を整えてから蓋をする。もちろんそのこだわりは定置網にイカが入っていることを確認した時点からすでに始まっている。2艘の船が徐々に定置網をすぼめて中に入った魚やイカを追い込んでいく時点でイカが魚にぶつかって傷つかないよう、あらかじめ1杯ずつ網で掬い上げ、魚類と別に扱うという念の入れようだ。

  • 大謀 山崎英恭(ひでやす)
  • 船上で箱詰めするスルメイカ
  • 船上で箱詰めされたヤリイカ

「三陸の多彩な魚種を次世代に」
それが300年続く網元の責任

これまでは山田や近隣の漁港で毎朝行われる競りにむけて水揚げしてきた山一定置漁業生産組合だが、消費者へや飲食店にむけた販売に取組みたいと考えたのは昆さんだ。2019年に父常治さんが急逝したのを受けて経営を担うこととなった元SEの昆さんはかねてインターネットでの販売にも関心を持っていた。「北からの親潮と南からの黒潮がぶつかる三陸は魚種が豊富で、毎日10〜20種類の魚が網に入る。そんな三陸山田の資源の可能性を多くの人に直接届けたい」。

番屋や倉庫の竣工を見届けることなく亡くなった父や祖母……、先祖代々続く網元の家に生まれたからこその意地がある。「祖先がここまでつなげてくれたから今がある。私も乗組員と一緒になって次の世代に山田の漁業をつないでいきたいと思っています」。